So-net無料ブログ作成

ミャンマーのアルバムUPしました。 [旅ばなし]

ミャンマーのアルバムUPしました。
写真をクリックすると飛びます。

2347476

今まで行った国で、人がいい国はと聞かれれば、ミャンマーとラオスと答えるだろう。
上座部仏教の教えのためか、旅人にはとても優しい人々が多い国だ。

たとえばこんなことがあった。
ヤンゴンから夜行バスでインレー湖というところに行った。
早朝、寝ぼけた頭でバスを降りると、カメラバックがない。そっくりバスの中に置いてきてしまったのだ。血の気が引いた。

宿の人に相談するとあれこれ手配してくれ、どこからか現れたおじさんがバス会社に連絡をとってくれた。夕方バス駐車場に行こうという。
車で連れられ、郊外の空き地にそのバスは止まっていた。
中にはバッグがぽつん。中は夜行の冷えた空気が残っている。開けられた形跡もなく、中身はそのまま。
「なんで忘れたんだ?」
運転手らしき男が一言つぶやいた。

帰りに、案内してくれたおじさんは、おばあさんの家に誘ってくれた。
おばあさんは日本語が話せるのだという。
「戦争中、私はメイミョーという街にいましてですね・・・たくさん日本の兵隊さんがやってきました・・・」
話すたびに、おばあさんは背を伸ばして気をつけの姿勢をした。何十年の時を経て、おばあさんの記憶に残った言葉は、少し昔の日本人の丁寧な言葉だった。
一家の写真を撮って家を後にした。

あの穏やかなミャンマーが、人権を省みない軍事政権に支配されたままなのは皮肉なことだ。

エコ調理・ペレットストーブとソーラークッカー [日常雑記]

知人の家で使われているペレットストーブきりん君。
ペレットとは、おがくず、木屑などを固めた燃料。それ専用のストーブがペレットストーブ。
室内用もあるが、これは屋外で楽しめる携帯用。分解して車にも積めるのが特徴だ。
廃材が燃料になるので、CO2フリーと木材の有効利用でぼつぼつ注目されている。
ペレットが安定して供給されればもっと使い安くなるだろう。
RIMG0610.JPG
これは、街でたまたま見かけたソーラークッカー。
太陽の光を集めて調理する。この人はクッキーを作っていた。おこわ、焼き芋などもできるらしい。長時間加熱する料理にいいのかも。
RIMG0642.JPG
これはパラボラ式のもの。もっと高熱になるので鍋も煮えるという。
チベットでこういうのが使われている写真をを見たことがある。
どちらも、キャンプや屋外のイベントなどで使ったら楽しそうだ。
RIMG0644.JPG

バリの写真UPしました。 [旅ばなし]

バリ島やアグン山の写真、ぼつぼつUPしてます。
写真をクリックすれば、アルバムに飛びます。
見てみてください。

11/22 写真追加しました。
バリ・アルバム
23274672310883

藤袴を守ろう、探そう [日常雑記]

藤袴は万葉集や源氏物語で詠われた野草で、かつては河原など至るところに生えていたそうですが、今では野生の原種は滅多に見られなくなり、準絶滅危惧種に指定されているそうです。

京都では藤袴を守る運動が行われているそうです。
数年前、大原野に自生している原種を発見、株を増やしてあちこちに植えたり飾ったりしています。
写真は東山の高台寺。

白、ピンクのものは園芸店などで売られていますが、それは他の種と交配した園芸種。
茎が赤いのは違うそうです。

このへんでもどこかに咲いてないですかね?
川の土手などによく生えるそうです。
見つけた方はご一報を。

↓藤袴プロジェクト
http://www.kbs-kyoto.co.jp/contents/fujibakama/

             鎌倉・光則寺にて
RIMG0504.JPG

タグ:藤袴

フィリピンのバンブーオルガン [ESSAY&STORIES]

 クリスマス・イヴの夜明け前。まだ暗いマニラの街を抜け、ラス・ピニャス教会に向かった。
「バンブーオルガンのことは、フィリピン人なら誰でも知っていますよ。みんなその音を一度は聴いてみたいと思っているんです」 と、タクシーの運転手は誇らしげに語った。
 ラス・ピニャス教会のバンブーオルガンは、共鳴管が竹で作られたパイプオルガンである。

 人気のない道を30分ほど走ると、突然賑やかな街角に差し掛かった。木々に星型のランタンが無数に灯り、ミサに集う人々が広場に溢れている。その正面に建つ粗い石積みの建物が、ラス・ピニャス教会だった。

オルガン3.jpg

 祈りの声の合間に、教会の中からオルガンの音が洩れてくる。時には笛のように、また雅楽のように。ひとつの楽器とは想像しにくい多彩な音色が広場に満ちる。
 ミサが終わり、ようやく朝が近づいた。堂内に入ると薄明の中に黙想する人々の姿がある。入り口近くの列柱の間に、バンブーオルガンはあった。表裏に琥珀色の竹が並び立っている。マニラ大聖堂などの壮麗なオルガンと比べるまでもなく、それは慎ましく古風な姿に思えた。

organ8.jpg

 バンブーオルガンは、1820年頃スペイン人のディエゴ・セラ神父により設計され、作られた。セラ神父は音楽のほか自然科学、工学にも優れ、土地の人々の生活の向上に努めたと伝えられる。
 このオルガンには900本近い竹が、共鳴体として使われている。竹はフィリピンのいたるところに自生していて、民家や生活の道具、楽器など様々に使われている。セラ神父は民族楽器の竹笛の音色を聴いて、竹でパイプオルガンを作ることを思いついたのかもしれない。

 教会で売られている冊子には、この楽器と日本との関わりを記す一節があった。
「第二次世界大戦中、バンブーオルガンは当時フィリピンを占領していた日本軍の手で守られ、戦禍を免れた。学者、音楽家の徳川侯爵は、この楽器に特別な関心を持っており、彼の働きかけで1942年からバンブーオルガンの解体修理が行われることになった。この費用は侯爵自身の寄付をはじめ、日本軍政部とマニラ大司教と信徒たちの協力で賄われた」

 徳川侯爵こと徳川頼貞氏は、日本でも音楽研究家、愛好家として記憶されている。現在上野公園内にある東京藝術大学旧奏楽堂のパイプオルガンは、頼貞氏が日本で初めて輸入したものである。
 頼貞氏は1920年代にフィリピンを訪れ、バンブーオルガンの演奏を聴いた。
「その音色は丸みがあってゆかしく、笙を連想させる。竹の多い日本などで、今後この種のものを造ったらきっと面白いであろうと思った」と、著書『頼貞随想』には記されている。
 大戦中、頼貞氏は軍の顧問として文化面を担当するために再びフィリピンに赴いた。その頃バンブーオルガンはほとんど顧みられず、朽ち果てる程に傷んでいた。その状態を見かねた頼貞氏はフィリピンの要人に会い、このような文化財は自国の人の手で守られてこそ価値がある、と説いてまわり、賛同を得たという。

 1970年代には、バンブーオルガンは修復のためにドイツに運ばれた。修復を申し出たクライス・オルガン工房は、竹の乾燥を防ぐために気温や湿度をフィリピンと同様に保つ、専用の部屋を用意した。また将来の修理に備えて、フィリピン人の修理技術者を養成しながら作業を進めた。このような徹底した配慮には、ドイツ職人の気質とこのオルガンに寄せる関心の程がうかがえる。修復は1975年2月に終わった。バンブーオルガンは再びラス・ピニャス教会に据えられ、完成を祝うコンサートが開かれた。

organ5.jpg

 それ以来、毎年2月には「国際バンブーオルガン・フェスティバル」が開催されてきた。その25周年を迎える2000年2月、再び訪れたラス・ピニャス教会は、着飾ったフィリピン人や外国人で賑わっていた。フェスティバルは約一週間続き、バンブーオルガンによるバロック音楽を中心に、ミュージカルやフィリピンの民族音楽など、多彩なコンサートが催された。スイスから訪れたオルガン奏者のギ・ボヴェ氏は、このオルガンは世界にただ一つのユニークな楽器であり、それを演奏することは特別な体験なのだ、と熱っぽく語った。

 近代史の荒波のなかで、スペインやアメリカが、また日本がこの国に遺した歴史の功罪は語りつくせない。ただバンブーオルガンは、厳しい時代にありながら美を求めた人々の証としてここにある。 
 夕立が上がり、南国の夜空に星が明るい。バンブーオルガンの奏でる竹の音は、演奏会に集う民族や歴史を異にする人々に語りかけるように響いた。

organ4.jpg

芸術新潮2000年12月号掲載 
文藝春秋ベストエッセイ集2001年版掲載

登録文化財について [建築、住宅、街並]

「文化財登録制度」は、日本では平成8年にできた制度だ。
国宝、重要文化財のような堅い保存ではなく、活用しながら保存できるいわば「ゆるやかな保存」。
基本的に外観を残す制度なので、内部は自由に改装もできる。外部の見える部分の4分の1以上を改造する場合にのみ、届出が必要になる。
規制もゆるやかな分、優遇措置もゆるやか。固定資産税、相続税評価額が減免されるなど、若干の優遇措置がある程度だ。それでもいくらかは、所有者の負担を軽くして歴史的建物を遺していく助けにはなるだろう。
登録文化財となればあちこちで名が出るから、お店や旅館など商売をしていくにもメリットになりうる。

登録文化財に申請できる条件としては、
・築後50年を経過している建物で、
・歴史的景観に寄与しているもの
・造形の規範となっているもの
・再現することが容易でないもの
とある。どんな町でも、あてはまる建物はけっこうあるはずだ。

現在日本での登録文化財建造物の数は約7000件。
この制度は、欧米では古くから普及していて、イギリスでは40万(!)、アメリカ5万、フランス4万と、けたはずれの数が登録されている。
日本では、阪神淡路大震災がきっかけになってようやく始まったばかりというところだ。

登録に向けては、その建物の歴史についていろいろと調べることになる。その過程で、持ち主や周囲の人も、建物の大切さに気付いていくことは意味が大きい。
観光資源の乏しい自治体でも、町ぐるみで文化財登録に力を入れて、町おこしにつなげていくというのも手ではないだろうか。

この建物を登録文化財とするにあたって、奈良市の窓口になるところに相談した。
歴史遺産には事欠かない市だから、事はわりとスムーズに運んだ。
「文化財」といえば釘一本打てない、お上が指定するものというイメージがあるが、そればかりではない。
文化財登録制度のように、持ち主の側から登録を申請する手もあるというわけだ。


↓文化庁のページ
http://www.bunka.go.jp/1hogo/main.asp%7B0fl=show&id=1000000129&clc=1000000033&cmc=1000000097&cli=1000000104&cmi=1000000118%7B9.html

奈良の土塀修復 [建築、住宅、街並]

奈良の土塀の修復工事。
この塀はもともと奈良でよく見る土の塀だったが、数十年前に上にモルタルを塗る補修がされてしいた。
このモルタルが剥がれて崩れてきたため補修することになった。
土の上にモルタルを塗ると、湿気が抜けずに返って中がぐずぐずになって傷んでしまう。

これと同じような状態を、アメリカのニューメキシコで見た。
サンタフェ周辺のアドベ(日干し煉瓦)の建物に、近年モルタルが塗られ、返って悪い状態になっている。
十年ほど前、丸山欣也さん、久住章さんたちが中心のワークショップに参加したことがあった。
久住章さんは、左官職人としては有名な人だ。

この奈良の塀も同様の状態だったから、久住さん周辺なら対処方法を知ってるのではと思った。
でも久住章さんは忙しくて頼めないだろう。なので息子さんの一人、久住鴻輔さんに工事を頼んでやってもらった。
長男の有生さんも、最近は情熱大陸に出たりして有名になっている。
鉄骨や竹で補強し、十分寝かせた粘土を塗っていく。

土の上にモルタル、という補修はは一時は見栄えがいいが、必ず後で傷みがきて、塀内部まで痛めてしまう。
本物の土で補修しておけば、年月が経って古びてきても、それが味わいになってくる。奈良の土塀の風景はそういうものだ。
正しい対処方法が広まればと思う。

この家と土塀は、登録文化財に申請した。
小西邸塀工事中 027.jpg
奈良小西邸土塀工事[1]..10.jpg

IRIS PROJECT [アート]

七色の毛糸を使ったインスタレーションをIRIS PROJECTと呼んでシリーズで続けている。
きっかけは江ノ島展望灯台での、MADE IN ENOSHIMAに参加した時だった。
ここの展示室は入り口が殺風景で人が入ってきにくい。どうしたら人を呼び込めるかを考え、手前にある螺旋階段に手を加えることにした。
どうしたら最小の手段で空間を変えられるか。考えた末に出てきたのが毛糸だった。
その色だけで、空間を性格付け、場をつくる。螺旋階段に巻きつけることで上昇感を生み、人を上に導く。
またエレベーター入り口は、混んでいる時は大勢の人が並ぶから、EV周りにぐるりとまきつけた。
最上階の展示室は、みんなが展示しているので少し控えめに。
虹の七色はビビッドでありながら普遍的で、不必要にこちらの趣味が出ないのがいい。
多様であることをセレブレイトする象徴として、虹色を選んだ。
毛糸というモノを見せるのではなく、そこにある場を顕在化させるためのインスタレーション。

2008年5月 江ノ島展望灯台にて

CA270474.jpg
CA270451.jpg
CA270443.jpg

2008年8月 鎌倉海の家ASIAにて


川崎民家園に行ってきた。 [建築、住宅、街並]

川崎民家園にいってきた。
今までも何回か行ってるけどその度発見がある。

今回驚いたのはボランティアの方々の勉強熱心なこと。
民家については大学教授くらいの知識じゃないかな。こちらの質問に的確+αの答えが帰ってくる。

で、聞いて面白かったのが富山の白川郷合掌造りのひみつ。
あれの囲炉裏の周りの地下で、火薬の原料の硝石を作っていたんだって。何か原料を囲炉裏の周りに埋めておくと熱とバクテリアの働きで硝石ができるんだそうな。で、前田家は幕府に極秘で住民に硝石を作らせていた。
秘密が漏れないよう、このあたりでは橋を作らず縄をつたって籠で行き来し、怪しい者(隠密?)の侵入を防いでいたんだって。
貧しくも長閑な合掌造りの風景は、今で言えば秘密ハイテク工場だったというわけ。

今、和風の家といえば畳と障子、瓦屋根を思い出すが、それはおおむね江戸時代以降の数奇屋。
昔の民家を辿ると、アジアや世界につながる広い世界が見えてくるようだ。

2292027
2292028
2292030
2292031

足柄古道と富士山 [旅ばなし]

先日富士山に行った時通りかかった足柄峠の古道が気になっていた。
足柄峠は箱根の北の尾根続き。古代の東海道として整備された。さらに遡れば縄文土器も出土しているというから、そうとう昔から人が行き来する重要な峠道だった。
万葉集にも詠われ、

足柄の み坂に立して 袖振らば
         家なる妹は さやに見もかも

(足柄の峠に立って袖を振れば、故郷に残した妻にはっきりみえるだろうか)

防人として西国に赴く男の歌。人の心情は昔も今も変わらない。
ここから東が坂東。一説によれば、「坂東」の坂とは足柄の坂だともいう。さまざまな人や物が、足柄峠を越えて行き来した。
やがて箱根の道に代わるが、日本を二分する重要な峠だった。

車道に平行して細い山道が続く。古道とはいえ石畳の山道だが、ふと見た足元の石畳が丸く磨り減っていて、これはもしや荷駄車などの往来でできた轍かなと思う。
峠に出ると富士山が目の前に。
箱根越しの富士は見慣れているけど、裾野からすっきり見える富士はまたいい。

2277984
2277986
下山路で通った杉林、間伐がされず密生したまま。下草が生えず表土が流出しかねない。
戦後に大量に植林したものの、外材におされ需要がなく、放置されたままのこうした杉林が花粉症の一因だという。杉に罪はない。杉を活用しつつ自然と折り合っていく方法はないものか。

RIMG0558.JPG

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。